11.12 ghost writer
11.09.2011
書の教え_58
質問者:それはまったく突然でした。なにかまったく忘れ去ってしまったことが、記憶に戻ってきたように。あるいは突然のひらめきの理解のようでした。「何とシンプルだろう。私は、私が考えていたものではなかった!私は知覚されるものでも、知覚するものでもない。私はただ知覚することなのだ」と。
「知覚することでさえない。ただそれを可能にするものだ」というマハラジのコメントが続きます。
いずれにしても、「知覚」が行われる瞬間に、何もない空白に主体と客体という二元性が生じ、「行為をしている自分」という最初のエゴイズムが産まれます。
最初の「知覚」を行う前の状態において、我々は無知なのではなく、二元性やエゴによってまったく屈折させられない全知です。
ー"I am that" ニサルガダッタ・マハラジとの対話
11.08 白タク
空港へは白タクで。
ネパール帽のおじさんが運転するオフロード四駆は、15kmを1.5時間で走ります(バスだと2時間)。
村なので、すれ違うクルマも人もおじさんの友達ばかり。
認定タクシー:2,000ルピー
白タク:1,500ルピー
11.08 ghost writer
11.07.2011
書の教え_57
マハラジ:表現のための欲望は挫折しうる。
表現とは、表現者と鑑賞者を必要とする行為。まったく他者に働きかけない、エゴを超えた欲望(方向づけられたエネルギー)があるとすれば、それは苦悩の芽を含まない完全な存在です。
ー不滅の意識 ラマナ・マハルシとの会話
ghost writer
11.06.2011
書の教え_56
意識を測定するためには、人を椅子に座らせて、ボタンを与えて、「好きなときにボタンを押してください」という実験が出来るね。つまり、ボタンを押そうとしているときの脳の活動を測ればいい。
好きなときにボタンを押すんだから、これは明らかに自由意識でしょ?だから、普通に考えると「ボタンを押そう」という意識があらわれて、それから手が動いて「ボタンを押す」という行動になると予想できるよね。研究者のだれもが実際にそう思ったの。ところが、答えは違ったんだ。「好きなときにボタンを押す」という、もっとも単純な行動が、なんと自由意思じゃなかった。
脳波をモニターしながら脳の活動を調べると、答えは先に「運動前野」という運動をプログラムするところが動き始めて、それからなんと1秒ほども経ってから「動かそう」という意識があらわれたんだ。
好きなときにボタンを押すんだから、これは明らかに自由意識でしょ?だから、普通に考えると「ボタンを押そう」という意識があらわれて、それから手が動いて「ボタンを押す」という行動になると予想できるよね。研究者のだれもが実際にそう思ったの。ところが、答えは違ったんだ。「好きなときにボタンを押す」という、もっとも単純な行動が、なんと自由意思じゃなかった。
脳波をモニターしながら脳の活動を調べると、答えは先に「運動前野」という運動をプログラムするところが動き始めて、それからなんと1秒ほども経ってから「動かそう」という意識があらわれたんだ。
「動かそうと決めた」という意識が、無意識が「手を動かす」と決定したあとに形成されたということ。
「行動を決めているワタシの意識」は錯覚であり、決定済みのリアクションと、副産物である自由意思の幻想があるだけ、ということです。
リアクションが構造的に意識による支配を受けないとすれば、我々が達成すべき、行為とエゴイズムの乖離や、リアクションの根絶とは、それらの形成プロセスの正解な把握ということになります。
ー「進化し過ぎた脳」池谷裕二
ghost writer
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