11.09.2011

書の教え_58

質問者:それはまったく突然でした。なにかまったく忘れ去ってしまったことが、記憶に戻ってきたように。あるいは突然のひらめきの理解のようでした。「何とシンプルだろう。私は、私が考えていたものではなかった!私は知覚されるものでも、知覚するものでもない。私はただ知覚することなのだ」と。


「知覚することでさえない。ただそれを可能にするものだ」というマハラジのコメントが続きます。
いずれにしても、「知覚」が行われる瞬間に、何もない空白に主体と客体という二元性が生じ、「行為をしている自分」という最初のエゴイズムが産まれます。


最初の「知覚」を行う前の状態において、我々は無知なのではなく、二元性やエゴによってまったく屈折させられない全知です。


ー"I am that" ニサルガダッタ・マハラジとの対話